Thursday, August 9, 2012
重い話題
日本でもニュースでとりあげられたようですが、昨年、1月、アリゾナのツーソンで銃乱射事件を起した被告ロフナー側と検察側の間で、司法取引が行われ、死刑は回避され、仮釈放のない終身刑がほぼ決定したそうです。
司法取引とは、被告が罪を認める代わりに、刑が軽減されるという制度です。
Loughnerは、日本でいうところの責任能力が問われていました。日本の(いつものことですが、日米事情共、実はよく知りもせずおそるおそる書いているのですが)、喧々諤々の論争の的である刑法39条は、裁判での「犯行時に善悪を判断する能力があったかの判断」が焦点です。一方、アメリカでは、まず、「(被告は)裁判を理解できるか」「裁判で自身を弁護する者に協力できるか」の2点が焦点。その上で「裁判が行われるかどうか」が決定されます。 被告が"competent(能力あり)"と認定された場合には裁判が行われ、"incompetent(能力なし)"とされた場合には、該当施設に収容され、"competent"の状態となるための治療が行われます。
裁判が行われた場合、やっとそこで、被告側の「犯行時の精神状態」を俎上に載せることとなります。通常は、「有罪だ」ということを証明するのは検察側の義務であるため、ある意味負荷は検察側にかかっていますが、「被告には犯行当時善悪を判断する能力がなかった、自らの行動の結果を理解する能力がなかった」ということを証明するのは、多くの州では弁護側の義務となるため、負荷は弁護側にかかることとなります。しかし、証明できれば「精神障害のため無罪」(Not guilty by reason of insanity)となり、刑務所ではなく治療のための施設に収容されることとなります。
今回の被告ロフナーはまず"incompetent"とされ、1年以上の治療の結果、「裁判を理解し、弁護側を手助けできる」という能力が認定されました(弁護側は、ロフナーという人の人格を破壊するものだと、向精神薬の服用を禁止する訴えを起こしましたが、判事は服用を認める判断を下し、治療が継続されました)。
そして、司法取引が行われたわけです。
この事件では6人が亡くなり、13人が怪我をしています。このような重大な事件で司法取引が行われたのは、裁判が行われた場合、おそらくは長期にわたるであろうと予測され、被告が「裁判を理解し、弁護団を手助けできる」精神状態を維持する可能性が薄いこと、陪審員のいわば思惑が不明であることなども理由にあるようです(陪審員は、精神障害が理由である無罪認定を回避する傾向があるようですが...)。また被害者家族にとっては、裁判による長期の苦痛の継続を避けることができたという認識のようです。
精神障害による無罪ではなく、「有罪ただし精神障害」(Guilty, but insane)であるため、判決決定時のロフナーの精神状態により、刑務所か、精神疾患治療施設に収容されます。刑務所が選択肢となるのは、刑務所でもある程度の精神疾患施設を整えているためです。
銃乱射事件の続くアメリカ。銃反対に拍車がかかるかと思えば、映画館での乱射があったコロラドでは、「安全のため」「実施されるかもしれないより厳しい銃規制法案の前に買っておくため」、銃の購入者が増えたそうです。
(文中、日本語の訳に躊躇しましたが、insaneという言葉の直訳(正気でない、精神異常の、ばかげた)ではなく障害という言葉を用いています。)
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